熊野歴史研究会(松本純一会長)は1日、新宮市の丹鶴ホールで本年度総会を開き、会員の減少、高齢化などによる️休会を決めた。活動は休止したものの今後、機会があれば講演会、研修旅行なども模索していくという。
1992年8月29日に誕生、設立総会には72人が出席した。34年間にわたり、熊野文化構想の中、各市町村の賛同を得て「熊野は一つ」の意気込みで活動を続けてきたが、会員は現在60人を下回った。昨年度はフォーラムや研修講演会などを開催、「熊歴情報」を4回発行した。
総会で松本会長は「設立総会は熱気にあふれていた。34年たって、立ち止まって整理したいと思った。今後、時には講演会、研修旅行ができれば皆さまと行動を共にしたい」とあいさつした。
■研修講演会
終了後には研修講演会を開催。会員で元龍谷大学教授の根井浄さんが講師を務め、熊野本願所の比丘尼について話をした。
熊野比丘尼たちは、
熊野三山に属し、
熊野三山にそれぞれ組織された「本願所」を拠点として全国に熊野信仰を広めた僧形の女性たち。近世には修験道の一派(熊野方)として掌握され、地獄極楽の絵図を説明したり、熊野牛玉宝印という護符や梛の葉を配って全国を回った。その目的は熊野信仰の伝播とともに、
熊野三山の
社殿堂塔を維持・管理する資金を集めることだった。この資金調達の経済活動を勧進といい、彼女たちは勧進比丘尼とも呼ばれたと説明した。
「資金を集めるため、熊野比丘尼が最も得意としたのが絵解き」とし、白い頭巾をかぶった熊野比丘尼の古いスタイルや弁慶が義経を連れて奥州に逃げる絵画などをスライドに映した。
「熊野観心十界図」は日本人の地獄観に影響を与え、「那智参詣曼荼羅」は熊野比丘尼の本願職・勧進職を主張する絵画。二つの絵画は声を出して説明する点に意義を持つ唱導絵画であるとした。
講演後、本宮語り部の会の谷口佳子さんが「熊野本宮参詣曼荼羅」、新宮語り部の会の西浦康代さんが「熊野新宮参詣曼荼羅」、熊野那智ガイドの会の生熊みどりさんが「熊野那智参詣曼荼羅」の絵解きを実演した。
3人は根井さんに指導を受けており、現役の今熊野比丘尼による華やかな「
熊野三山参詣曼荼羅」の絵解き協演で有終の美を飾った。
(2026年8月4日付紙面より)