串本町立西向中学校(枠谷省三校長)の3年生6人が6日、紀州語り部の仲江孝丸さんから遠洋マグロ漁船「第五福竜丸」を架け橋にして核兵器の開発と世界的な反対の動きなどを教わる機会を持った。
6人は9月16日(水)から18日(金)までの3日間、修学旅行で関東方面へ赴く予定。中日の17日(木)には都立第五福竜丸展示館を訪ねる行程となっていて、その事前学習として校区内で第五福竜丸のいきさつに詳しい仲江さんを外部講師として招いて話を聞くこととした。
仲江さんは日本への2度の原子爆弾投下を機に核兵器の世界的な開発競争が始まり、その一端にビキニ環礁での核実験があり伴う放射性降下物(通称・死の灰)を浴びた漁船の一隻が「第五福竜丸」だった(1954年3月1日被ばく)と位置付け。船員はこの降下物への知識を持たず、他国の領海へ入ったと思いスパイ容疑をかけられる状況を恐れて無線を使わず急ぎ日本へと退避した。その間に被ばくをし、この状況はメディアが事細かに取り上げて広く知られ、後の核兵器廃絶を求める行動(国民平和大行進など)の一因となっている。
「第五福竜丸」の前身は古座川の中州にあった古座造船所で建造された全長約30㍍の木造カツオ漁船「第七事代丸」(47年4月浸水)で、被ばく後も除染をして東京水産大学の練習船「はやぶさ丸」として運用されて廃船。夢の島へ捨てられていたが保存を求める署名運動が起こり、東京都が同展示館を建設し学芸員を配置してこの船がたどったいきさつを現在も伝えているとした。
2021年に発効した核兵器禁止条約に対する日本政府の現況にも触れ、仲江さんは1万発を超える核兵器があるのに使われないのは世界的な運動が歯止めをかけているからだと説明した。「全ての核兵器がなくなる未来を目指して、第五福竜丸建造の町から声と行動を」とメッセージを託し、「第七事代丸」建造当時の中州は字岩渕の一部だったので西向地区と関わりが深い船としてこれらの内容を6人にも周囲へ話せるようになってほしいと期待。同館の市田真理学芸員からもしっかり教わってくるよう願った。
(2026年7月9日付紙面より)
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