「令和7年度熊野学講座第40回歴史探訪スクール」の第4回講座「新宮鉄道の展開 那智支線建設計画と国鉄買収について」が9日、新宮市の丹鶴ホールであった。20人以上が参加、講師で和歌山県立新宮高校教諭の左近晴久さんが紹介する写真や資料を通じ、未完に終わった新宮鉄道の計画や、紀勢線全通という国策と地域発展のため、国が同鉄道を買収する過程などを学んだ。
熊野学研究委員会歴史部会、新宮市教育委員会の主催。大学の卒業論文で鉄道を題材にしたという左近さんの講座は、埼玉県の鉄道博物館(旧交通博物館)所蔵のフィルムから複写した資料を表示して進んだ。
木材輸送などが主目的だった新宮鉄道は1919年、紀伊天満駅から那智山麓へ至る延長約4・8㌔の支線の敷設免許を申請した。那智山への参拝者など、旅客輸送を見込んだ計画だった。
同時期に那智村の村営電気鉄道計画と競合するも、運営経験の有無などから20年8月に免許交付を受けた。しかし第1次世界大戦後の不況による資金調達の困難により、建設期限の延長を申請。
昭和に近づくと那智山方面に利便性の高いバス路線が開設され、25年の株主総会で計画断念を決定した。
国鉄の買収については、すでに明治末期から紀伊半島を一周する紀勢鉄道の建設運動が始まっており、当初から新宮鉄道を買収・活用する案があったことを解説した。27年には軍部も関与し、国策として強力に推進、34年に買収を実施。職員合計91人を国が採用したことなどが述べられた。
まとめに左近さんは「鉄道は、初期投資が大きい分、金もうけが大事。その一方、地域の経済、文化の発展を願って造られており、それは新宮鉄道も同じだった。地域住民の意見の反映などが、今の鉄道の在り方を考える時は重要」と、地域づくりから見た鉄道についても語っていた。
(2025年12月13日付紙面より)
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